『帰宅難民』になった日
ソフトウェア技術部 チーフ 8年目 男性

宅難民という言葉を、去年の今頃は知らなかった。

そもそも、そんな単語が元々あったの?という感じだ。

今春の「東日本大震災」、また先日の「台風15号」において、首都圏の交通網は
大きな混乱を招いた。電車各線の全面停止に伴い、容易に帰宅できない多くの人々が、
先の『帰宅難民』と呼称されたという訳だ。

…とまあ、前述の様な内容は、散々報道されたし、誰もが知っている事と思う。
それに、これを読んでいる方も、当事者であった可能性が高いだろう。

私自身、震災当日は、帰宅するまで約13時間を要した。
その要した時間のほとんどが「タクシーを見つける」「タクシーに乗車中」の2点であった。
自宅から約80Km離れた場所での打合せ中に震災が発生し、そこから帰宅手段を模索するも、
当然電車は動かず、歩いて帰れる距離でもなく、自然とタクシーでの帰宅に選択肢が絞られた。
が、周囲にも同様な境遇の方は沢山存在し、バスはもちろん、タクシーも乗り場に長蛇の列が出来、
中々帰路につけない。

近辺で一泊して、翌日帰る事も考えたが、どうしても帰宅せざるを得なかった。
なぜなら、震災により隣宅から出火し、自宅にも被害が出ているという連絡を受けていたのだ。
幸い、大事に至る前に消火された旨の連絡も受けられたが、どんな状態なのか確認するのを
翌日に出来るほど、悠長ではいられなかった。

約4時間探し回り、その最中に歩いた大通りで偶然‘空車’を見つけ、その場で頼んで
ようやく帰路に着けた。そしてそこからがまた長かった…。大渋滞に巻き込まれたのだ。
都内中心部を抜けるまで、とにかくノロノロ運転が続き、歩いたほうが早いと思っても、
自宅まではまだ半分以上の距離が。我慢の乗車が続くこと約9時間の超長旅であった。

やっとの思いで帰宅して見たものは、家宅捜索を受けたよりも酷く散乱とした部屋であった。
震源地より相当の距離があったにも関わらず、この威力かと愕然とした。ありとあらゆる物が
元の場所からずれていた。確かに酷い有様ではあったが、隣家の出火による軽微な延焼以外は
これといった物損は見当たらなかった。人的被害も無かったのが一番である。

  
  
て、

今回『帰宅難民』の一人としての帰宅手段は‘タクシー’であった訳だが、もし、もう少し
近い場所(ギリギリ歩ける範囲位)で被災したのであれば、どうしていたかと自問してみた。
先の理由により、絶対帰る意思があったので、いつまでも見つからないタクシーを捜すより、
先に‘歩いて’帰る選択肢になっていたと思う。世の中の多くの『帰宅難民』の方は、その
‘歩いて’帰る方が殆どのような気がする。

では‘歩いて帰れそう’な距離にいたら、本当に歩けるのか?
そう思ったので、後日、実際に歩いて見た。
といっても、当日の現場(客先)からでは遠すぎる為、通常の通勤先の事務所からである。
(自宅から約38Km)

予め手のひらサイズの地図を購入し、ルートを確認済の上で歩き始めた。
地図上では感じなかった、実際の地形の起伏(坂や凸凹)が、歩く上で大きな隔たりとなった。
また、詳細版の地図でも記されていない細い道の交差や、実際には歩けない(車専用)道による
迂回を余儀なくされたことが印象的だった。
体力的には、最初の10Km程は調子よく歩けたものの、段々と足に痛みが伴うようになり、
その内、完全に片足を引きずる状態で歩いていた。途中の薬局で炎症を抑えるスプレーを購入し
場当たり的な治療をしながらでも、結局は約30Km地点辺りで断念し、限界を感じた近隣の
駅から電車で帰宅した。

自宅最寄り駅から、家まで歩く気力も無く、贅沢にもタクシーに乗り、その車中で運転手の方に
その日のことを話すと、「緊張感が違うから、平常時じゃ力が出ないですよ。」と客観的な意見を
頂戴した。『なるほど。』と妙に納得したものの、達成(歩ききること)が出来なかったのが若干
悔しい感があったので、近日、再チャレンジしてみようと思う。但し、今度は自転車で!

特にお勧めする訳ではないが「勤務地⇒自宅」のルートは一度でもいいから、歩くか自転車で、その
道程を確認しておいた方がいいとは思う。一度でも「自力で、見て、通った」道は、以外と記憶に
残るものだ。万一の際に、必ず役立つ知的財産になると思う。

最後になるが、今更ながら被災地の皆様に、哀悼と応援の意を贈ると共に、この事態に対し、自分が
何が出来るかを、考え行動していくことを、改めて誓いたい。

2011年 晩秋


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