帰宅難民という言葉を、去年の今頃は知らなかった。 |
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そもそも、そんな単語が元々あったの?という感じだ。 今春の「東日本大震災」、また先日の「台風15号」において、首都圏の交通網は 大きな混乱を招いた。電車各線の全面停止に伴い、容易に帰宅できない多くの人々が、 先の『帰宅難民』と呼称されたという訳だ。 …とまあ、前述の様な内容は、散々報道されたし、誰もが知っている事と思う。 それに、これを読んでいる方も、当事者であった可能性が高いだろう。 私自身、震災当日は、帰宅するまで約13時間を要した。 その要した時間のほとんどが「タクシーを見つける」「タクシーに乗車中」の2点であった。 自宅から約80Km離れた場所での打合せ中に震災が発生し、そこから帰宅手段を模索するも、 当然電車は動かず、歩いて帰れる距離でもなく、自然とタクシーでの帰宅に選択肢が絞られた。 が、周囲にも同様な境遇の方は沢山存在し、バスはもちろん、タクシーも乗り場に長蛇の列が出来、 中々帰路につけない。 近辺で一泊して、翌日帰る事も考えたが、どうしても帰宅せざるを得なかった。 なぜなら、震災により隣宅から出火し、自宅にも被害が出ているという連絡を受けていたのだ。 幸い、大事に至る前に消火された旨の連絡も受けられたが、どんな状態なのか確認するのを 翌日に出来るほど、悠長ではいられなかった。 約4時間探し回り、その最中に歩いた大通りで偶然‘空車’を見つけ、その場で頼んで ようやく帰路に着けた。そしてそこからがまた長かった…。大渋滞に巻き込まれたのだ。 都内中心部を抜けるまで、とにかくノロノロ運転が続き、歩いたほうが早いと思っても、 自宅まではまだ半分以上の距離が。我慢の乗車が続くこと約9時間の超長旅であった。 やっとの思いで帰宅して見たものは、家宅捜索を受けたよりも酷く散乱とした部屋であった。 震源地より相当の距離があったにも関わらず、この威力かと愕然とした。ありとあらゆる物が 元の場所からずれていた。確かに酷い有様ではあったが、隣家の出火による軽微な延焼以外は これといった物損は見当たらなかった。人的被害も無かったのが一番である。 |
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さて、 |
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今回『帰宅難民』の一人としての帰宅手段は‘タクシー’であった訳だが、もし、もう少し 近い場所(ギリギリ歩ける範囲位)で被災したのであれば、どうしていたかと自問してみた。 先の理由により、絶対帰る意思があったので、いつまでも見つからないタクシーを捜すより、 先に‘歩いて’帰る選択肢になっていたと思う。世の中の多くの『帰宅難民』の方は、その ‘歩いて’帰る方が殆どのような気がする。 では‘歩いて帰れそう’な距離にいたら、本当に歩けるのか? そう思ったので、後日、実際に歩いて見た。 といっても、当日の現場(客先)からでは遠すぎる為、通常の通勤先の事務所からである。 (自宅から約38Km) 予め手のひらサイズの地図を購入し、ルートを確認済の上で歩き始めた。 地図上では感じなかった、実際の地形の起伏(坂や凸凹)が、歩く上で大きな隔たりとなった。 また、詳細版の地図でも記されていない細い道の交差や、実際には歩けない(車専用)道による 迂回を余儀なくされたことが印象的だった。 体力的には、最初の10Km程は調子よく歩けたものの、段々と足に痛みが伴うようになり、 その内、完全に片足を引きずる状態で歩いていた。途中の薬局で炎症を抑えるスプレーを購入し 場当たり的な治療をしながらでも、結局は約30Km地点辺りで断念し、限界を感じた近隣の 駅から電車で帰宅した。 自宅最寄り駅から、家まで歩く気力も無く、贅沢にもタクシーに乗り、その車中で運転手の方に その日のことを話すと、「緊張感が違うから、平常時じゃ力が出ないですよ。」と客観的な意見を 頂戴した。『なるほど。』と妙に納得したものの、達成(歩ききること)が出来なかったのが若干 悔しい感があったので、近日、再チャレンジしてみようと思う。但し、今度は自転車で! 特にお勧めする訳ではないが「勤務地⇒自宅」のルートは一度でもいいから、歩くか自転車で、その 道程を確認しておいた方がいいとは思う。一度でも「自力で、見て、通った」道は、以外と記憶に 残るものだ。万一の際に、必ず役立つ知的財産になると思う。 最後になるが、今更ながら被災地の皆様に、哀悼と応援の意を贈ると共に、この事態に対し、自分が 何が出来るかを、考え行動していくことを、改めて誓いたい。 2011年 晩秋 |