どうにも最近の風潮は、 |
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せわしないと言いますか、何かにつけスピード感が求められ過ぎな感じがしています。 情報通信技術の発達により、私たちは朝から晩までかなりの情報量をさばけるようになりましたが、 それゆえに1つ1つの情報に対する認識の精度が低くなりがちであるように感じるのです。 食事に例えるならば、よく噛まないでノドに掻き込むような食べ方を延々と続けている感じです。 |
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だからこそ、 |
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ときにはバランスをとる意味でも、意図的に「じわじわ」と処理速度を遅くして
速度よりも精度を重視して自分の身の回りの世界を眺めてみるのも良いと思うのです。 例えば、通勤の帰り道にわざと遠回りして自分の住んでいる町並みの変化を「じわじわ」と観察してみる。 例えば、ファストフード店でわざと「じわじわ」と食べながら目の前を行き交う客を観察してみる。 例えば、たまたま電車の向かいに座った女性のメイクアップをさりげなく「じわじわ」と観察してみる。 例えば、何かムカッと感情的になった瞬間に、それに至るまでの心理的プロセスを「じわじわ」と観察してみる。 このように「じわじわ」と観察することで得られた情報は類例の無いユニークな情報になります。 ネットで検索しても簡単に見つかるものではなく、自分だけのオリジナルな視点になりえるでしょう。 そうして「じわじわ」な観察を積み重ねることで少しずつ獲得された高精度の観察眼により いつしか自分自身が「じわじわ」と変化していくのを観察できるかも知れません。 |
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考えてみれば |
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人間の世界は「じわじわ」と変化してゆくのが当たり前なのですから、
そこで生きていく以上は自分もまた「じわじわ」と変化してゆくのが当たり前なのでしょう。 できることならば、世間の風潮に簡単に流されないようなオリジナルな視点の観察眼を養いつつ、 それでいて変化に乗り遅れることの無いよう「じわじわ」と世界と自分の変化を楽しみたいものです。 |