最近、感じている事柄を何点か述べてみたい。 |
||
私は、面倒くさがりやで自堕落な人間である。
嵐には頭を下げ、じっと堪え、私には関係ないことだと
して過ぎ去ることを祈ることで済ましてきた。 しかし、あることを耳にし反省をした。 ある方が、仕事や人間関係で疲れ将来どうなるのか 不安となり相談を持ちかけた。 相談を受けた方は、「どうなるか」ではなく「どうするか」 との思いが大事であるとの激励をされたようである。 自分の人生を、人任せにしたり、社会のせいにしたりして 結果に満足が得られるのか。 人生は何か運命のようなもので、決定されているのではなく 自ら切り開くものであろう。 それならば、能動的な行動で取り組んだ方が良いに 決まっている。また、結果も素直に受けいられるはずである。 しかし、やはり不安はある。努力だけで大丈夫か。 そこには、「人事を尽くして天命を待つ」的な思いも 必要となってくるのではないか。 良い意味での「楽観主義」である。 最大限の努力をした上で、結果を受け入れる器量を 養うことが大事であろう。 失敗は失敗として受け入れ、次回に生かしていくことである。 |
||
  | ||
もう一つ。 |
||
私は立場上、何人かの社員を管理する者である。
人が複数集まる組織は、その組織の長の器以上には
ならないということである。
組織が大きくなる、良くなるということは、その長の
器が大きくなっているとの証拠である。
逆に言うと、長の器が大きくなれば組織も大きくなる
との方程式である。 であるならば、長は常に器の拡大を念頭において 日々努力をしていく宿命を課せられているのである。 器を広げることは簡単でないと思っているが 意識していくことは可能である。 常に危機意識を持ち、与えられる課題に積極的に取り組む 姿勢であろう。 我々は人里離れたところで、人との接触をせず 生きている訳ではない。 むしろ、情報過多の時代である。 その中で自分を見失わず、明るく楽しい人生を 歩んで生きたいものである。 申し訳ない。前言と違っていた。 歩んで生きたいではなく、歩んで生きていこう。 |
||
  |